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<  2006年 10月   >

  • 引越しのお知らせ
    [ 2006-10-25 15:39 ]
  • 『パイの物語』を読んだ
    [ 2006-10-19 04:13 ]
  • 新潟の仏像展に行ってきた
    [ 2006-10-12 04:58 ]

引越しのお知らせ

引越ししました。今度はjugemさんにしました。さようならexciteブログと。


by bonyparts | 2006-10-25 15:39 | 日記

『パイの物語』を読んだ

パイの物語』を読んだ。僕は閉じられた世界でのサバイバルに弱い。そんな本があると知って飛びついて読んでしまった。期待以上だった。16歳の少年パイが船の沈没に遭遇する。救命ボートに一緒に乗ったのは、骨折したシマウマ、オレンジジュースという名のオラウータン、ハイエナそしてリチャードパーカーという名のトラだった。少年は漂流227日後に助かる。作者が当時の事を本人に取材して話は進む。


物語は3部構成になっている。第1部は冒険に出かける準備のように、船に乗るまでの生い立ちを丁寧に出していく。動物園の息子がどうして船に乗るのか。どんな行動をしてきたのか。しっかり抑える。また、舞台が動物園なので動物について教えてもらう。ここで教えてもらったのに自分の甘さに嫌になる。おとぎ話とは違い、少年と動物達は旅の仲間にはならない。どこまでも人と動物達だ。動物達と一括りするべきかさえ悩むほどだ。そうそう、第2部の漂流に入ってすぐにウミガメが出てくる。あの時も自分の甘さが嫌になった。人を恐れないウミガメが少年に近づく。僕はこのウミガメが孤独を紛らわせるのかと勘違いした。パイ少年は食べる。兎に角、口に入るものは入れてみる。ベジタリアンだった彼も漂流するにつれ、何もかも口に入れてみる。彼の世界は口に入れられる物と入れられない物に分けたようにさえ感じる。長い漂流だが、ここからは一気に読んでしまう。第2部を読むときは時間を十分に確保しておいた方がいい。


そして第3部に入る。助かった直後の彼に日本人2人が事故調査に来る。彼らはその調査中のやり取りを録音していた。第3部はその録音したテープ書き起こした文章になっている。第3部を読むにつれ、受け入れることを考える。いろいろな人がいろいろな話を受け入れている。ある人が十字架につけられて処刑された。その後、その人が復活した話を受け入れている人もいる。世界は一握りの人達の陰謀で動いているという話を受け入れている人もいるだろう。その人達にそれは真実じゃないと言っても意味がない。その話が真実とか作り物とか嘘とかということと、人がその話を受け入れるのはあまり関係がない。


例えば、僕の昨日の出来事を僕の受け取ったままに伝えることは出来ない。『パーマン』のコピーロボットと主人公がおでこをあてて、記憶を共有するようにはいかない。だから、僕らは会話したり書いたり描いたり動作などの様々な方法を使って、なんとか伝えようとする。その時に伝える側も全てを伝えないし、伝えられない。また、受け手がどう思い描くか分からない。実際の事を言葉に置き換えた時に削ぎ落とされるものを、受け手が言葉から復元出来ない。もはや、真実なんて伝えられない。全てが間違っている。ならば、どんな理由で話を受け入れるのか?パイは陸に着いたときに何で泣いたのか?あぁ、自分の甘さに嫌になる。


読書後、彼が語らなかった事を考えてしまう。救命ボートに積んであった、あの道具は使ったのかとか些細な事からどんどん流されていく。自分の子供さえ紹介しない彼だ、きっと語らないことは膨大だろう。思い返すと発見(本当は勘違い)をして楽しい。例えば、パイの本当の名はピシンという。この名でピシング(おしっこをする)とおちょくられ、自らパイ(円周率)と名乗る。排泄物という余るものからパイという割り切れないものに自分で変わる。そして、パイという名は周りに受け入れられる。この出来事に意味がありそうだと思うだけで楽しい。2つの名の自分がいると考えても楽しくなる。


兎に角、この本は再び読むだろう。もしかしたら何度も読むかも。そんな本だ。





by bonyparts | 2006-10-19 04:13 |

新潟の仏像展に行ってきた

新潟の仏像展に行ってきた。とはいえ、仏像に強い関心があるわけではない。仏像関係の本だって、いとうせいこうとみうらじゅんの『見仏記』シリーズ(画像は佐渡にも行く仏友篇)を珍道中ぐらいの気分で読んだぐらいだ。時間もあり、軽い気持ちで行っていた。みうらじゅんのように、仏像をヒーロー・怪獣やアイドルと同じような目線で観れたらいいなと思いながら館内に入った。


いや~面白かった。特別展は撮影禁止だったり、資料やメモを取ってなかったの悔やまれる。ネットで検索すれば簡単に観れると思ったのが甘かった。特に初めて知った十二神将立像が良かった。この十二神将立像というのは面白い。各仏像の頭に干支が乗っかっている。前頭葉の真ん中にチョロQを置いたように、干支が乗っている。この仏像が観ていると微笑んでしまう。この仏像を読んでいるみなさんに見せたい。だけど、検索しても似ているのが見つからない。鎌倉時代以降のような筋肉がガッチリある十二神将立像なら引っかかるけど全然違う。この特別展の十二神将立像は平安時代作られたそうで、筋肉はなく身体はまったく緊張していない。自然体だ。そして、お顔が表情豊か。単純に喜怒哀楽で表せない。良い顔をしている。仏像によくある目が開いているのか分からない無表情とは違う。生き生きしている。そして、頭の上にチョロQのようにデフォルメされた干支がいる。でも表情はない。チョロQも車だから表情はないけど、形によって愛くるしいように、この干支が実に愛くるしい。パッと見ゴブリンに見える表情豊かな十二神将立像とチョロQのような無表情の干支がひとつになっているのが実にたまらなくいい。ずっとぐるぐる回っていた。ビックリマンも驚くキャラクター達だった。


あとは国分寺の観音菩薩立像の腕の太さとか安定感が見たら響いた。あの腕の太さは相当の握力がありそうだ。ビンタなんて喰らったら脳震盪を起すだろう。観音菩薩はそんなことはしないだろうが。そうそう、狛犬の阿の方の犬のまゆがハの字になっていて噴出してしまった。愛嬌のある顔なんだ。また、お面が展示されていたけどはこれが小さい。やっぱり当時の人は肉を食べないから顔が小さいのか。お面の顔がホリが深くて、中学生の時に英語を教えにきたベジタリアンの外国人を思い出してしまった。その人すごい顔が小さかったのよ。


人知を超えた存在だけど、信仰している人に超人ぷりを分かりやすく見せるために顔や腕を何本も足していったのかなと思いながら鑑賞していた。あと、高校生の一団がキャッキャと来襲してきて、ついつい女子高生に目が行ってしまった。仏像を前にしても煩悩を払うことは出来なかった。


兎も角、これで入場料一般800円、音声ガイド500円をつけても安かった。





by bonyparts | 2006-10-12 04:58 | 日記